<第21回> ☆★☆ ××氏も怒る ☆★☆
昨日の康友氏の怒りながらの熱い話しを聞きながら、こんなことを思いました。忘れもしない2005年8月21日、行財政改革審議会の第1回公開審議会でした。私の「今回の合併は原点が間違っている」という発言に対し、ヤマハの社長の伊藤委員が怒りました。5000億の売上を誇る大会社の社長から、「合併が間違っているという立場では行革の審議などする資格はない」と言う意味でのキツイ言葉を公開の場でいただきました。
こちらはまさに『オロオロ』。同じく大会社スズキの鈴木会長(審議会の会長、以下修会長)から、「この審議会は色々な意見の人が本気で議論する場で、審議と答申に期待していただきたい」・・というような言葉で、とりなしていただきました。
その伊藤社長が最後は非常に厳しく、合併後の『屋上屋を重ねるような今の行政の仕組み』に対する批判をされました。審議会の中で、浜松市の現状と今の市長の方針に、一番怒っていた方ではないかと思います。
翌2006年の10月28日が最後の公開審議会でした。現状を変えたいと思わない市長の「頑な」さを何とか変えたいと、委員は生の声で改革を訴えたのですが、「検討している」という「木で鼻をくくった」ような回答ばかりでした。最後に会長が具体的に、諭すように問題点を指摘し、変革の道筋を話したのですが、変化はありませんでした。
修会長、中山商工会議所会頭も最後は「匙を投げた」状況でした。この街の未来を心配する人たちが次々に名乗りをあげ、今は600人の経営者が怒っています。普通は中立を維持する銀行や信用金庫の方々も、「変えなくちゃ」と思い、積極的に動いています。
「浜松の抱える問題を知ってしまった人」は「変えなくちゃ」の人になりました。まだ知らない人は、怒っていないので、「今のままで良いかも・・・」と思っています。
もっと多くの人にこのブログを見てもらい、怒りの鉄拳を8日までに、振り下ろせば、浜松の市政は変わりますよね。
最後に、昨日松下政経塾の上甲晃さんの講演を浜松で聞くことができました。21世紀の日本のために松下幸之助さんは85歳で松下政経塾を私財を投げ打って創り出しました。26年前、1981年のことです。
何故。幸之助さんは『日本の抱える大きな問題を知っていた人』でした。85歳の年齢で、自分の命の尽きた後の日本を憂えて動き出した幸之助さんはおだやかに、しっかり怒っていたようです。今の浜松の修さんを含む経済人の方々に同じような穏やかな怒りを感じます。浜松の未来を本気で憂えている人達に、「しがらみ」という言葉を投げつけ、批判している現職の、超官僚型の市長には、浜松の問題が見えていないので「僕は悪い」とは全然思っていないんでしょうね。
ではでは。