<第60回> ☆★☆ 第60回 未来研のお知らせ ☆★☆
急に変なテーマでごめんなさい。この新しい市政をつくる会のブログを開いたすぐ後、「浜松・日本未来研究会」という会を作りました。その会の会合を開きます。
詳しくは下記URLをご参照下さい。
http://hamamirai.hamazo.tv/c508448.html
気持ちとしては、この『atarashiブログ』は様々な浜松市の抱える課題について、自由に論議する場、『未来研』についてはそのご意見、アイデアを基にもう一段深く調査や議論をし、それを政策提言的にまとめていく場と考えています。
未来研については任意団体ですので、参加しやすい会、原則オンラインでの提言・・と考えていますが、時折はオフラインでの会合をしたいと思い、来週やります。
上記のURLでのご案内でも、場所の広さの制約から、あまり人数を増やせないとお伝えしています。ただ、このatarashiブログの読者、積極的にご参加しコメントを発信いただいている方々には参考までにお伝えしたいと思いました。
来週1日月曜日時点で、参加希望が多いときには会場変更を努力しますが、費用の関係で押さえはしていないため、ご参加いただけない場合もあると思います。その場合にはご容赦いただければと思っています。
急なテーマ変更で申し訳ありません。次回のテーマは「まちの引力」にしたいと思っています。宇宙と3次元のお話はもう少し先にさせてください。
ではでは。
C-1、内容を生み出す形式
3年前、私は引佐町の或る自治会の自治会長でした。引佐町には41の自治会があり、41人の自治会長がいました。年に4回の自治会長会議がありました。
最初の2回(4月と7月)に出席してみて、「これは町長が自治会を押さえつけておくためのものだ」と感じました。自治会長同士が互いの問題を出し合って話し合うものだと思っていたのですが、違いました。
そこで、第3回(12月)は変えようと思い、周囲の数人の自治会長とはからって改善提案を出しました。受け入れられました。
その提案は2点ありました。第1に、机を学校の授業のように並べるのではなく、ロの字型に並べること、第2に、会議全体を2部に分けて、第1部は役場との協議とし、第2部は役場の人たちは退席してもらって、自治会長だけの会議とすること、です。
その日の第2部は素晴らしかったです。皆が次から次へと発言しました。みんな、言いたい事が沢山あったのだな、と思いました。終わって会場から出てくる面々の顔は上気していました。提案した仲間とは「よかったねえ」と言い合いました。少したってから、会長(自治会長会の会長)に電話をした時、「引佐町に今まで、あんな活発な会議があったのか」と聞いたら、「あんなの、初めてだよ」との返事でした。
内容的には何も決まらなかったのですが、机をロの字型に並べるのはその後も受け継がれました。自治会長会議を可能な限り週日の夜に開くべきだという提案は、その後部分的に実行されるようになりました。
この経験は何を証明するかと言いますと、会議(これは個人の思考に対して「集団的思考」と言えます)のあり方(形式)は内容にとって大きな意味を持つということです。これを「内容を生み出す形式」と言うことも出来ると思います。
さて、集団的思考は司会者で大きく3種に分けられると思います。司会者がいない議論、司会者が司会に専念する議論、司会者が発言もする議論、です。秋山ブログは大学のゼミと同じく第3の議論に入ると思います。
このタイプでは司会者は時に発言者でもありますから、両方の役割をとう自覚的に使い分けるかが問題になります。私の経験では、大学教員を含めて、これの正しくできている人は少ないです。
まず、ブログのあり方(形式)を決めるのは最終的に司会者(発行人)の義務と権利であることを確認する必要があると思います。
この権限をどう使うかは、批判的な意見を抑圧する多くの校長とか社会主義国を一方の極端とし、どんな発言でも機械的に許す2チャンネルを他方の極端として、その中間に無数のあり方があります(外国はいざ知らず、日本の学校でも司会者は発言者を指名する機械に成り下がっていますが、これも後者です)。
秋山さんの司会の方針は「なるべく介入しないように」といった言葉から伺えるように後者に近いと思います。しかし、これでは立ち行かなくなって、少し介入しようかと考えているところだと思います。理論的な根拠はともかくとして、「なるべく介入しない」といった考えではなく、「このブログの目的にはどういう司会が正しいか」という風に考えることを提案します。
私自身、教師として、特に哲学の授業のやり方がなかなか分かりませんでした。こういう価値観的な要素を含む教科で議論中心の授業をどうやったらいいのか、分からなかったのです。
今では、まず「授業の目的」を「自分の考えを自分にはっきりさせ、更に発展させること」と明記して、最初の授業で「この授業の目的を間違えるなよ。議論もするし、他者の意見を批判するのも自由だけれど、あくまでも最終目的は自分の考えを発展させることだということを忘れるなよ」と念を押します。
第2は、授業のあり方(形式)について異論が出たとか、私が疑念を持った時にはそれをそれとして提案し、皆の意見を聞きます。日本人は口では言ってくれませんが、書いてもらえばたいてい正直に言ってくれます。それを教科通信に載せて、私の判断を伝えます。皆の意見を聞き、賛否両論を発表した上での結論なら、受け入れてくれます。というか、「授業のあり方については講師に最終的決定権がある」と最初に「授業要綱」に書いておきます。
つまり、正しい司会(形式)」を追求するようになると、困ったり間違えたりすることがあるのですが、それは自分の成長のための糧なのだと思います。誠意をもってやって、しかも情報を公開してやっていけば、たいていの人は理解してくれます。おかしな人は何パーセントかはいるものですから、それは気にしても仕方ないでしょう。
具体例(例ですよ)を出しますと、小杉さんが、「このブログでは匿名は止めたらどうか」と発言していたと思います。これに対して秋山さんは「自分は実名派だ」と答えていました。しかし、これは「1発言者」としての振る舞いです。この時、「司会者」として振る舞い、「小杉さんの提案を皆さん、どう思いますか」と、いったん皆の意見を聞いてから、今までどおり自由にするとか、実名にするとか、規律を確認するというやり方もあったと思います。
さて、miburoさんの牧野批判は、(1) 議論と無関係な事を書くことは間違い、(2) ほかに書くべき場所があるのだからそこに書くべし、の2点だと思います。
(1) は、一般的には言えないと思います。ブログのような単線的な場で一時にせよ特定のテーマ以外の事を出してはいけないとすると、多様な議論がしにくくなると思います。
(2) は一見もっともですが、これもブログの性格からして現実的ではないと思います。ブログでは誰でも、原則として、最新記事とそれのコメント欄しか見ないと思います。
過去の記事のコメント欄への新たな書き込みがあった場合には発行人(司会者)がそれを知らせるようにすることも考えられますが、現実的ではないと思います。
「コメント掲載の事前承認制」を取っていない秋山ブログでは、発行人にすら過去のコメント欄に黙って書き込まれた発言を知るのは難しいでしょう。すると「オーナーへのメール」で一々知らせなければならなくなります。やはり現実的ではないでしょう。
ついでに言及しますと、これは市役所のホームページでも同じで、この方はかなりの大問題です。「新着記事を知らせるメールを登録者に送る」ようにするか、「トップページの新着記事の欄にその日に新しく掲載された記事を箇条書きにして知らせる」ようにするかしてくれないと困ります。メルマガに1週間分の新着記事を知らせるコーナーを作るのも1つの手かもしれません。ともかく、自分でその箇所を見に行かなければ分からない現状は改善してほしいと思います。
いずれ、市役所に言うつもりです。その前に、「市役所のホームページのあり方」というテーマで議論してもいいと思います。
元に戻って、その後の秋山ブログの様子を見ていますと、私への「違和感」を2人の方が表明しました。
これらの結果、「コメントを書くと何か言われるのではないか」と躊躇している方や、「あまり長いコメントはよそう」と考えるようになった方がいるように「感じ」ます。
それやこれやで、何となく、このブログには元気がなくなってきて、「今日はどんなコメントがあるかな」と思って秋山ブログを開く楽しみが減少したように思います。これは大問題です。
ですから、次の2大原則を確認するべきだと思います。
第1に、原則としてコメントは最新記事のコメント欄に書く。
第2に、自分の意見を表明するのに必要十分な長さの文を書いてよい。
ただ、1つだけ改善案を出します。それは「コメントに番号を振る」という事です。
「コメントを書き込む本人が自分で番号を入れる」のを原則として、「発行人がチェックして落ちている番号や間違っている番号は直す」ことにするといいと思います。
このようにコメントの多いブログではどのコメントの事を言っているのか、参照してほしいのか、特定するのを容易にしておく必要があると思います。
記事は年月日で特定できます。ですから、例えば「2007年09月25日C-15」とすれば、2007年09月25日の記事の15番目のコメントのことだと分かるわけです。
たしか『論語』だったと思いますが、「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」という言葉がありました。
日本は「小人の国」のようで、協調性などという言葉を創り出して、和と同をわざわざ一緒くたにして、事実上「同」を押しつけています。その結果、日本は世界に冠たる「イジメ大国」になっています。
こういう日本とイジメ学校に満ち溢れている浜松で、これを少しでも変えようとしてがんばっている秋山ブログぐらいは「君子のブログ」であってほしいと思います。
秋山さんのリーダーシップを期待します。
牧野さんへ
私は違和感を感じたコメントをしたひとりです。
まず、新しくコメントをすると、「最近のコメント」
に掲載されます。新しい「最近の記事」がなければ
私はそこを見ます。新しいコメントを見れるからです。
それと、新しいテーマで話をしたい(して欲しい)
場合、秋山さんにこのテーマで話をしたいとメールで
提案すればいいのではと思っています。
牧野さんは、秋山さんも一目置かれている存在の
ようなので、秋山さんも興味があれば、きっと
取り計らってくれるでしょう。
それより、今回違和感を感じたのは、記事が
再任用制度のことであり、「新聞記者・・・」で
論議をしたことに、秋山さんから、個人批判は、
やめようとのコメントがあり、ひと段落したと
思ったからです。
再任用制度の給与→行革審事務局長→小楠さんの
流れを感じた読者は、私だけではないでしょうし、
この話はこれで終わりにしたいと秋山さんが
思っていると感じているのは、やはり私だけでは
ないでしょう。
もし、書かれた記事が「子育て」や「補助金」なら
そんなに違和感は、感じなかったと思います。
秋山さんへ
いままで見てきた中で、例えば大岡敏孝さんの
ブログの書き込みは、やはり大岡さんの支持者が
多いです。
でも、このブログは、裾野がひろいというか、
いろんな方が参加されている印象を持っています。
だから、参加しやすいのです。
職業、支持政党など、いろんな立場の方が
垣根を越えて参加されていることが私にとっての
魅力です。
すみません。
私の以前のコメントみると
「市立美術館の挑戦」に
違和感を感じたと書いていますが
真意は、
「退職後の職員の状況」に
違和感を感じたの誤りです。
浜松・日本未来研究会の会合 面白そうですね
仕事で行けないのが残念です。
どういう内容だった公開してくれるとうれしいです。
牧野さんへ
私も違和感を感じたと書いた1人なので感想を書きます。
実は自民党員さんが書いているように
このBlogは過去の記事に対してのコメントでも
「最近のコメント」に載ってきます。
ある記事へのコメントが
いろんな所に分散して書かれていたら
非常に読みにくいと思います。
やはりコメントは対象となる記事に対して
書いて行くべきだと思います。
私が違和感と感じたのは
議論の流れに全く関係ない長文が載っている事に対してです。
>「コメントを書くと何か言われるのではないか」と躊躇している方や、
>「あまり長いコメントはよそう」と
という方がいたとしたら、そんなつもりで書いたのではありません。
牧野さんへ
違和感を感じたのは、私一人ではなかったようです。
せっかく街づくりに関しての議論が動き出した矢先に、議論の流れと全く違う、しかも、秋山さんからこの話題はもうやめようと言う意思表示があったことに関して、長文を掲載されたからです。
自民党員さんやnakaさんが書いている通り、私も「最近のコメント」で、新しいコメントはチェックしています。
ご自分のブログではないのですから、コメントは対象となる記事に書くのが当然だろうと思います。
ーーーーー<牧野氏コメント>----------
「コメントを書くと何か言われるのではないか」と躊躇している方や、「あまり長いコメントはよそう」と考えるようになった方がいるように「感じ」ます。
それやこれやで、何となく、このブログには元気がなくなってきて、「今日はどんなコメントがあるかな」と思って秋山ブログを開く楽しみが減少したように思います。これは大問題です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
あなた自身のコメントも、影響していると感じませんか?
★牧野先生コメントありがとうございました。
いつも示唆に富む発言をいただき、勉強になっています。ブログがこんなに自分を高めるチャンスになるとは、最初は思っていませんでした。
★会議のロの字ですが・・
実は私か関連する会議は、会社の社員総会的なものを除き、全部このタイプでした。確かに全員が議論をする雰囲気になっています。「行革審」の勉強会、「デジタルプロセス研究会」の理事会、新たに作った、「次世代設計・製造構造研究会」、宇宙航空技術利活用研究会」、「ISTS企画委員会」、そして今度の「浜松・日本未来研究会」もです。無意識にやっていました。
★司会の参画の仕方・・
についてもやっと整理がつきました。
ありがとうございました。
★最近このブログ、少し元気がないのは・・
秋山の責任が大きいと思っています。海外の疲れと仕事を溜めてしたったことから、また少し自愛しすぎたために、コメントへのコメントを書ききれませんでした。
★司会役がよそ見している以上・・
意見を調整したり、方向を変化させたりしながら議論を盛り上げることできませんよね。失礼いたしました。
★コメントの内容が豊富なので・・
調べてみたくなり、副市長のブログを見に行ったりして、自分のコメントを書く前の準備に時間がかかってしまったのも、司会役の消極的参加になってしまいました。でも、見に行くことは良かったです。
★「アクセスの秘策」へのコメントについては・・
少し整理してから、また書き込みますね。
よろしくお願いします。
PS.コメントの場所と番号については少し考えて見ます。
ではでは。
>ご自愛しすぎてしまった
焦らないでください。ご自愛優先でお願いします。
貴社のような先端技術企業の存在こそ浜松の活力の根源です。
しかも、中心街に所在地があるわけですし、貴社の存在は、浜松の産業活性化、中心街活性化の一つの解答だと思います。
ブログ活性化は、読み手には有り難いですが、やはり無理のない程度でお願いします。
追伸 牧野さんへ
< 第2に、自分の意見を表明するのに必要十分な長さの文を書いてよい。
牧野さんの2007年09月30日 13:30の投稿の文字数をエクセルのLEN関数を当てたところ3,685という数字がかえってきました。スペースもあるので
割り引いても概算で3,000字です。
行革審公募の論文は、たしか1テーマ1、000字程度だったと記憶しています。長いと感じるのは、私だけですか?
俺は書きたいから1万字でも書くというなら結構ですが・・・。周りの方から反感を買われないよう注意なされた方がよろしいかと思います。
私は、牧野さんのコメントは数値を上手に使った論理的な文章は嫌いではありません。
それより、このままだと、ブログが停滞してしまいそうなのがとても心配です。
★昨日、未来研のオフミーティングを行いました。
事務局を含め9名の参加で、自己紹介を中心に全員で色々なお話をすることができました。
中心市街地の今昔から、ストップエイズまで、参加の方々の色々な活動状況、ご意見が紹介され、オンラインとはまた違った楽しい場を作り出すことができたと思います。
この先は4半期に一度くらいの活動を・・ということで、約2時間半の会合を終了いたしました。ご参加いただいた方、ありがとうございました。また準備不足で、ご案内が遅れ、ご参加いただけなかった方々にはお詫び申し上げたいと思います。是非次回お願いいたします。
★団塊Jr.さん、コメントありがとうございます。
やっぱりしっかり自愛しながら、体と仕事に気を回しながら、楽しい議論の場を作って行きたいと思います。
また、テーマ、コメントの件についてはもう少し考えをまとめた上で、司会役としての考えをお伝えしたいと思いました。もちろん、硬いルールという形ではなく、ガイドラインのようなもののつもりです。
ではでは。
C-12、小杉さんの市議会傍聴記
小杉さんが(2007年09月13日C-01)のコメントで、市議会を傍聴した経験とその感想を述べています。
市議会の質問と再質問のしきたりについては鈴木めぐみブログ(2007年09月13日)に説明がありますので、参考になさったらどうでしょうか。
さて、内容については、次の相模原市の市民の朝日新聞「声」欄への投稿を思い出しましたのでお知らせします。
記(議員に通信簿を)
無党派の市民約60人でつくる神奈川県の「相模原市議会をよくする会」は、当選した市議が選挙後、どう働いているか、その働きぶりを議会の全部を傍聴してチェックし、市議一人ひとり実名で通信簿を作って、公開しています。
発言の内容・回数、公約達成のための活動などについて、一度も質問しない「落第」、質問はしたが公約に言及しない「不可」、ある程度質問した「可」、質問回数が10回以上、公約への言及も多い「秀」などと評価。
また、議員の調査力・行動力なども「努力を要する」「一層の努力を要する」と監視しています。
活動には大変な勇気と努力が必要です。不偏不党の立場を堅持するのも容易なことではありませんが、市政をよくしようとする会員の熱意が、今回、2回目の通信簿に実りました。
活動で、議員の居眠り・私語・内職・やじ・読書が激減。傍聴席も3倍に増えました。2003年の統一地方選では通信簿の影響で落選したと思われる市議(定数46)も2人現れ、市議たちは神経質なほど関心を寄せるようになりました。
自治体の政治を変えるのは議員ではなく、選挙民であることを痛感しています。新しい市民参加の形でもあり、全国にこの風が広がることを期待します。
(2007年02月18日、朝日新聞、声欄)(引用終わり)
これを考える時には、市民の行政への態度を分類して考えるのが適当だと思います。思うに、それは次の4つになります。
(1) 市政について外野で意見を言ったり議論したりする。独自調査自体はここに含める。
(2) 行政や議員に直接、働きかけ、影響を与える活動をする。
(3) 裁判を起こす。
(4) 自分が公的地位についた時、自説を実行する。
小杉さんの活動は(1) だと思います。相模原市の方々の活動は(2) だと思います。今、浜松市政での一番の弱点は議会(議員)だと思いますから、それに現実的な影響を与えるという点で、(2) を考えることが大切だと思います。
次に、小杉さんが、09月17日に書いたコメント(2007年09月14日C-21)(コメント番号は少し違うかもしれません)で、読者に反応を求めている点について考えてみました。
まず、記事やコメントを読んだ読者の反応は3つに分類出来ると思います。
A・何も言わない。
B・すぐにコメントを書く。
C・時間をおいて考えを整理してからコメントを書く。
Aは必ずしも無視しているとは限らないと思います。考えがまとまらなかった場合もあると思いますし、今回の私のように後の適当な機会に発言する場合もあると思います。すぐに反応がないからといって、反応を求めるのはBの態度と同じだと思います。「君子のブログ」ではCが目標であってほしいと思います。
この場合「時間をおく」というのは、必ずしも私のように何日もたってからでなくてもいいと思います。ともかく、記事なり、コメントなりを読んで、その場で「反射的に」コメントを書くのではないということです。
私の哲学の授業では最後の30分がレポート執筆の時間ですが、それまでに考え、話し合ってきたのに、その上、「最低でも3分はメモを取ったりして、考えをまとめてから書くように」と指導しています。
ですから、ここで「時間を置いて」と言うのは、「一応の目安」としては、読んだ後、「いったんPCを切るなどして、考えをまとめてから、再度PCを立ち上げて」書くことを言います。
「自分の考えを自分にはっきりさせ、更に発展させること」を目的として参加していらっしゃる方にお勧めです。本ブログをチャットにしてはならないと思います。
この点は「討論打ち切り」の問題に関係すると思います。つまり、「討論打ち切り」は原理的に適切か否かということです。
まず、討論打ち切りみたいなものの事例を考えますと、国会で「一事不再議」とかいうのがあると思います。これは「同一の事」を「1つの国会会期の中」では2度はやらないということだと思います。つまり、次の国会なら蒸し返してもいいわけです。
民事訴訟などでは、「これで終わりにする」といった文言が付くと思います。
私が自治会長をしていた時にもこんな事がありました。既に出来たバス停の待合室の建設について、「競争入札にするべきだったのではないか」と発言した人がいたのです。
私は、考えた結果、「いったん正式な手続きをへて決まった事については、その時に知られていなかった新しい事実が出てきた場合だけ、再度持ち出すことが出来る」としました。しかもそれは「(領収書の保管期間である)5年以内」としました。つまり、「あの時、俺は本当は反対だったのだ」という発言は認められないということです。
これをルールとすることを提案し、異議がなかったので、決まりました。
さて、「秋山ブログ」では「討論打ち切り」はしない方かいいと思います。そもそも先日の場合もそうでしたが、何の議論を打ち切ったのか、どういう事はいけないのか、はっきりしません。
それに、これも、事実上、「読んですぐコメントを書く」という態度を前提していると思います。これが特に拙いと思います。こうすると、あせってコメントを書くという態度を助長することになると思います。
哲学なんて学問は二千数百年間も同じテーマで議論を続けてきた学問です。
1つの記事のコメント欄にいくつものテーマの議論のある方が「君子のブログ」らしくて好いと思います。
PS
かつて立派なコメントを書いていて下さった方々の発言がなくなりました。寂しいです。「ガイドライン」の策定は秋山さんに任せて、我々は元の「自由でのびのびした議論」を再開しませんか。
牧野様へ
第60回C-12の牧野さんの、私に対するコメントはありがとうございます。内容は大変参考になりました。
さすがに経験を積まれた方ですので、言われることの「本物」さが光りますね。
私は少し短気であり、すぐに反応してくれないと不安を覚える欠点があります。しかし、牧野さんが言われるとおり、少し間をおいて、考えをまとめてからでも遅くは無い時もありますね。私も考えを十分にまとめないで発言することはなるべく避けたいと思います。
やっと浜松市議会事務局長より、私の議会傍聴の感想に対する返事がきました。予想されたよりは前向きなご回答でした。特に、傍聴席の照明などについては、11月議会までに改善策を考えてくださるそうです。何でも言ってみるべきかと思われました。
ただ、新聞発表もありましたが、夜間・休日議会に対して、事務局も議会も反対されたのは合点がいきません。この点は、今後このブログでも取り上げるべきテーマにはなりませんでしょうか。
秋山さんが言われるように私の現在の立場は(1)です。あせらずに(2)に持って行けるように努力します。
(4)の立場は、今のところ考えていません。
このように言うと、口先だけで、評論家のように逃げていると取られかねませんが、リーダーとなる資質の難しさはよく分かっていますので、無責任な発言にならぬように注意しながら、独自の立場より建設的意見、提言をしていければ、今の私の使命(義務)は果たせるのではと考えています。
最後に、「本当」のことを言う危険性を最近よく考えるようになりました。でも、「本当」のことを言わねばならぬときは、必ずあります。その時に、信念を持って行動(発言だけでは無く、実行力も兼ね備えて)できることが、私の当面の目標かと思います。
今後とも。ご声援とご叱咤をお願いします。とにかく、まず議論を始めましょう。 小杉直弘
★議会について・・
一度しっかり取り上げたいと思っています。
①議員定数
②議員の資質
などを考える時、
③議員通信簿も
④夜間・休日の開催も
⑤議会のためのシンクタンク
も避けられない案件だと思っています。
もし④の「夜間・休日に開催」されれば、傍聴者も多くなり、③の「議員通信簿」の内容も関心も大きくなるはずです。また、普通に仕事を持っている人も立候補しやすくなり、②の「議員資質」も自然に上がるのではと思います。
①の「議員定数」についても、④がないという前提では、定数削減で議員資質をあげようという議論だけになってしまいますが、兼業ができれば、イギリスのように議員数を増やし、多くの意見で市の運営をチェックすることができそうです。
定数削減の場合にはむしろ議員報酬を高くし、政策秘書を持ちやすくするべきですし、定数を増やして、職業議員ではなくボランティアで参加できる議会にするという方向も考えられそうですね。
また近々にテーマにしたいと思います。
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